「火のないところに煙は立たぬ」こともなくない?と思う件

2020年9月6日

「火のないところに煙は立たぬ」ということわざが古くからあります。

最近だとゴシップや悪いうわさなどがネットで記事になったときに、それに対して一般の人がコメントで書いていたりします。

これに関して私は昔から「そうとも限らないのでは?」と疑問に思っているのです。
今回はそんなことを少し考えていきたいと思います。

火のないところに煙は立たぬ

まったく根拠がなければうわさは立たない。うわさが立つということは何かしら根拠があるはずだ」
という意味のことわざです。
これを火と煙の関係に例えています。

類義語もたくさんあり、「蒔かぬ種は生えぬ」「物が無ければ影ささず」などと言ったりします。
(私はあまり聞いたことなかったですが…)

ちなみに英語圏でも
「There is no smoke without fire.」
という言葉があり、日本での使われ方と同じ意味で使われています。

世界的な共通認識ということなんでしょう。

火なしで煙を立たせられないのか?

それでは本当に火のないところに煙は立たないのでしょうか?
私はそんなことはないと思います。というか結構簡単に火なしで煙は立つと思います。

誰かが嘘のうわさを広めようと思って嫌いな相手の悪いエピソードをSNSで書き込む、週刊誌などが世間にインパクトがあるように記事を書くために事実を捻じ曲げて書く、など方法はいくらでもあります。

もっと原始的な方法であれば「うわさで聞いたんだけど○○さんって××らしいよ」と嘘のうわさを口頭でするだけで、簡単に広められる可能性があると思います。

上記のように方法はいくらでもありますし、実際に根も葉もないうわさを流されて、それがあたかも本当のことのように世間に思われてしまう事例もたくさん発生しています。

安易に使う危うさ

情報が簡単にすぐ手に入り、また簡単に広められる世の中になっています。
自分の頭で考えず「火のないところに煙は立たないから…」と思い込むことは非常に危険だと思います。

「流れているうわさ、記事の内容などを盲目的に信じていないか?本当は悪くない人を追い込むことにならないか?」としっかり自分で考えることが必要だと私は思います。

みなさんは自分が何も悪くないのに悪いうわさを流されたことはありませんか?
多かれ少なかれほとんどの人が経験したことがあると思います。
だからこそ「うわさになる時点で本当のこと」という思い込みはすべきではないのではないでしょうか。

うわさとの向き合い方

「うわさを盲目的に信じるな」と言われても、それではどうやって向き合っていけばよいでしょうか。
ということで私がいつも意識していることをご紹介します。

・本当のことは何か考える
・相手立場になって考える
・自分がそのうわさを本当に広める意味があるのかを考える
・うわさを信じて自分が批判をする意味を考える

大事なことは自分でうわさにどう向き合うべきか考えることだと思います。
また外野である自分が批判などを直接行ったりSNSに書き込むことが本当に必要か、どいう意味があって影響を与えるのかを考えることだと思います。
(相手との関係性によっても取るべき行動は変わると思います。)

私もまだ正解がわかりませんが、一人ひとりが考えることが大切なのではないでしょうか。

番外編:対義語

最後に対義語をご紹介しておきます。

実はこちらはあまり知られていないかもしれませんが、対義語に「根がなくても花は咲く」ということわざがあります。

たぶん「根も葉もないうわさ」というのはここから来ているんでしょうね。