DEATH 「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版 シェリー・ケーガン 【本・感想】

2020年5月17日

みなさんは「死」について考えたことはありますか?
私は朧げに怖いというイメージはありましたが、しっかりと考えたことはなかったかもしれません。

最近よく本屋さんの目立つところに置いてあって気になっていたシェリー・ケーガンの本「「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義」について読んでみました。

今まであまりこういうタイプの本は読んでこなかったのですが、興味深い内容でしたのでご紹介いたします。

こんな人におすすめ

・「死」について考えてみたい人
・「死」が漠然と怖い人
・哲学書を普段読まないが、これから読んでいきたい人、読んでみたい人

概要

この本はアメリカのイェール大学で人気の「死」についてのシェリー・ケーガン先生の講義を本にしたものです。
分野で言うと哲学の本になります。

原本は英語で書かれており、中国、台湾、韓国など、世界各国で翻訳本が出版されています。
本書は2018年に日本語で翻訳され出版されたものになります。

原書では大きく分けて前半が形而上学けいじじょうがく、後半は価値論について書かれています。
(形而上学の意味は難しくて説明できないので各々で調べてください…)

しかし日本語版は集約版となっていて、形而上学的な問題については大幅にカットされています。
原本の後半部分であり、この本で扱っていく倫理と価値観の議論に入る上では、前半の形而上学的な内容についても触れておく必要があります。
そこで本書では第1講の中で「日本の読者のみなさんへ」というページがあり、ここで最低限必要な形而上学的な内容について書かれています。

ちなみにこの本で省略されている原書の前半部分はこちらで無料公開されています。
185ページもあります、めちゃくちゃ太っ腹ですね。

構成

この本の構成は以下の通りです。

第1講 「死」について考える
第2講 死の本質
第3講 当事者意識と孤独感 ー 死を巡る2つの主張
第4講 死はなぜ悪いのか
第5講 不死 ー 可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
第6講 死が教える「人生の価値」の測り方
第7講 私たちが死ぬまでに考えておくべき、「死」にまつわる6つの問題
第8講 死に直面しながら生きる
第9講 自殺

第〇とあるように、実際に講義で行われていた内容になっています。

普段私は哲学書を読まないので、こういう本での議論の進め方のスタンダードを知らないのですが、この本では数学で言う背理法的な手法で多くのことについて書かれています。
(哲学の世界では別の言葉がありそうですが…)

「Aについて私は正しいと思わない」
→「Aは正しいと仮定して議論をする」
→「Aの正しくない(矛盾する)例が見つかる」
→「Aは正しくない」

みたいな感じです。
哲学的な考えはこういう風に理詰めで進めていくんだなという、なんとなくの雰囲気は少し読み進めていくとつかめていくと思います。

人は死ぬとどうなるか?

死について考えるうえで一番最初に出てくるのは、人は死んだらどうなるのかです。

これについては大きく「二元論」「物理主義」に分けて考えます。

「二元論」とは体という物質以外に物質的には存在しない何か、すなわち魂が存在するという考え方です。
この考え方を採用すると、人は死ぬと体は無くなるが魂は存在し続けるので、この世界から完全に消えてしまうということはない、ということになります。

もう一方の「物理主義」は存在するのは体だけであり、魂のような物質的には存在しない何かはないという考え方です。
この場合は、人は死ぬと完全に無くなり何も残らないということになります。

ちなみに著者のシェリー先生は物理主義を主張されています。


これ以外にも人が死ぬのは身体が死んだときか、脳が死んだときか、など死についての基本的なところの考えが書かれています。

死はどうして、どんなふうに悪いのか?

多くの人は死が悪いものだと思っていると思います。
もちろん私もそう思っていますし、読んだ後でもそう思っています。

ではなぜ死は悪いのでしょうか?
ここでも色々な説を挙げられていますが、シェリー先生が特に詳しく取り上げれているのが「剥奪説」という考えです。
「死はそれ以降に得られるはずだったという機会を奪うため悪い」というのが剥奪説での死が悪い理由です。

これについて考えていくと、もし死が機会を奪うから悪いのであれば、不死であれば幸せかという疑問にもぶつかります。

結論としては不死は幸せではなく、剥奪説は大体の場合で正しいのではないか、ということになるのですが、これだけでもかなりの量の考察が書かれています。

人生の価値とは何か?

死について考えるのであれば、人生の価値の評価方法についても考える必要があります。
なぜなら今後人生の価値がマイナスになるのであれば、死を受け入れることは悪いことではない、という考え方もできるからです。

例えば人生の価値は
「今後やって来る良い時間の総量」-「今後やって来る悪い時間の総量」
で計算でき、これがプラスになれば今後生きる価値があり、マイナスならば今後生きる価値がないという考え方です。

これ以外にも生きていること自体に価値があるので、その分を上の式に取り入れるべきだという考え方やもあります。

この考え方も「生きていることの価値」が他の価値を無視できるくらい大きいと考えれば、どんな人生でも生きる価値があります。
一方で単に上の式に若干のプラスとして入る程度であれば、これを考慮しても生きる価値がない場合もあり得ることになります。


他にも「質×長さ」で計算できると考えたなら、100点の日々を10年生きるのと1点の日々を1000年生きるのは等価かなど、様々な方法での人生の価値の評価方法が取り上げられています。

自殺は正当化されることがあるのか?

目次や最初の章を読んでいく中で、私は一番最後の章に「自殺」について書かれていることに気づき少しぎょっとしました。
この章は80ページ近くあり、他の章よりもページ数をかけて書かれています。

死というテーマでは確かに自分で人生を終わらせる「自殺」ということについても触れていかなければならないのです。

シェリー先生は自殺については、感情論になってしまうことが多いと思うがここでは冷静に自殺について考えていく、と書かれています。


まず自殺について考えるうえで、合理性道徳性を分けて考える必要があります。

合理性については自殺が合理的になるのはどのような場面かを考察されています。
人生の価値の総量がマイナスになっている、つまり生きていない方が良いという時には自分で人生を終わらせることが合理的かもしれません。
しかしそれはどうやって正しく把握することができるのか、またそのような状況において本人が正常に判断ができているのかといった問題を含んでいます。

道徳性については自殺とは自分を「殺す」ことになるので、それは許されるのだろうか、許されるとしたらどのような場合でどのような理由か、という点に焦点を置いて書かれています。

中途半端に結論だけ書いてしまうと間違った意味合いで伝わってしまう可能性もあるのであえてここでは書きませんが、これについては感情論で否定をせず冷静に考える必要があるのかもしれないです。

まとめ

正直私は本書がほぼ初哲学書だったので、「なるほどー、哲学書ってこんな感じなんかー」というところからのスタートでしたが、かなり読みやすく、スラスラ読めました。

一方ですごい極端な例や恐ろしい例を出して話を進めるところには最後まで慣れないところもあり、まだまだ自分が哲学書初心者だなとも感じました。
また、自分の中では納得しきれない部分もいくつかありました。

ただ本書の最後に

私が示してきた様々な主張に、みなさんが最終的に同意するかどうかはわからないが、それよりも大切なことがある。
それは、この機会にみなさんが自分の信念を批判的に検証できたかどうか、つまり、何が真実であることを自分が望んだり、願ったり、当然と思ったりしているかだけではなく、何が実際に擁護できるかも自問することができたかどうかだ。

と書かれています。

つまりは全面的に本書に同意するのが大切なのではなく、本書を通して自分で死について考えることができたかが重要ということです。
(それでもシェリー先生は先生の主張を読者が信じてくれたかどうか気にしていないというと嘘になるそうですが)


普段哲学書を読まない方にもおすすめできる本でした。
「死」について考えるのを避けるのではなく、この本を通して一度じっくり考えてみてはいかがでしょうか。
誰しも死を避けられないからこそ、考えることに意味や価値があると思います。